ロールモデルになるような、各業界の第一線で活躍している方々をインタビューと年表で紹介するこのコーナー。第6回のゲストは、個人で活動するウェブエンジニアであり、同時にアジャイルメディア・ネットワーク株式会社のCTOを務める福田一行さんです。

1982年生まれ。2005年慶應義塾大学環境情報学部卒業。 2005年からソニー株式会社にて放送局向けシステムの設計を担当。 2008年より、アジャイルメディア・ネットワーク株式会社に入社し、広告システムからメディアシステムまで、幅広いシステム開発、運用を一手に担っている。 個人でも大学時代から様々なWebサービスの企画・開発に携わっており、2007年4月のTwitter黎明期の頃からTwitterでの話題を集めるサイトを運営するなど、複数のWebサービスの開発、運用を行っている。
◇個人のブログ
 ・「異聞録(いぶんろく)」 
◇個人で開発・運営しているサービス
 ・「テレビジン」 - いま盛り上がっている番組をガイドするテレビマガジン 
 ・「Twitty」 - いまTwitter上で何が話題になっているかをランキングする

「就職するとき、2年でやめようと思っていました」

大学で就職活動するときは、どんなキャリアを考えていたのですか。

就職したら2年でやめようと思っていました。モノづくりをするメーカー等の大企業でまず2年間経験を積みたかったのです。私は、インターネットとハードウェアの組み合わせでサービスが作りたいと思っていました。しかも自分自身でいずれ起業するつもりでしたから、2年でかなりの経験を積んでやろうと自分にプレッシャーをかけていました。起業マインドの高い大学でしたから友人ともそういう話をする機会はたくさんありましたが、就職前から2年と実際に年限を区切っていたのは珍しかったかもしれません。就職では、内定をもらった中で最後に決めたのがソニーです。モノが作れる会社ということと一番給料がよかったのが決め手でした。

楽天やYahooで活躍している大学のOBも加わるプロジェクトに参加したときに、自分自身の力を蓄えていずれベンチャーを起業したいと強力に感じました。それまでに既にインターネットで動くものを個人で作り始めていましたが、この経験を通して一層先々を意識するようになりました。

起業を目指すことに関してご両親の影響はありますか。

子供の頃、父は家で仕事をしていました。印刷機の設計です。大企業の下請けでそういう仕事があったようです。会社にはしていました実質的に個人の力だけでやる仕事です。若い頃、以前はアニメータをしていたと聞きました。でもなかなか食っていくのは難しい業界だったようです。人並みに食っていくために自分で勉強して、設計図を書く仕事に切り替えたのだそうです。アニメと設計図では全く違うようにも思いますが、描いた絵でモノを創ること、が好きなんでしょうね。今では仕事はリタイアしていますが、ペーパークラフトで本格的にオリジナルの平等院をつくったりしています。

私自身も、幼稚園の頃には、プラモデルでアニメのキャラクターを作ったり、おもちゃを集めたりし始めていました。ただ、一人遊びだけが好きだというわけではなく、友達づきあいも好きで、鬼ごっことしていた覚えもあります。

両親とも、“勉強しろ”とかあまり言わないタイプでした。ただ、母は姉2人にピアノを習わせていて、僕にも同じような期待をしたのですが、どうも実技のほうはあまりものになりませんでした。ただ、楽譜を読めるようになったことや音楽という趣味が持てたことは財産になったと思います。
小学校入学前に幼稚園の先生に”小学校では先生は 一回しかいわないよ”とちょっと脅かされました。おかげで、人の話をよく聞くようにいつも緊張していました。知らない間にそれがあたりまえになってしまいましたが。学校の成績が比較的よかったのはその習慣が効いているような気がします。高校受験では慶應義塾高校に合格しました。

「アイデアは誰でも出せると思います。それよりも実現する方が難しい。」

モノづくりにこだわるようになったきっかけはありますか。

慶應義塾高校に入学すると、8時20分に始まる1時間目に間に合わせるために毎朝6時前に起きるようになりました。通学には往復3時間かかりましたが、慶應を選べば大学受験に無駄な時間をつかわなくてもいいという計算もありました。(※注 慶應義塾では、高校から大学はエスカレーター)

受験を目的としないからだと思いますが、高校では、試験よりもレポートが重視されていました。しっかり自分の考えをまとめて文章にするという能力をみにつられたと思います。先生によってテーマは違いますが、化学、生物で大量のレポートを書いたのを覚えています。

Windows95が出た頃、僕は、中学2年生でした。熱心な先生が「技術」の授業で、PCを使ってホームページの作り方を教えてくれました。HTMLを覚えたのはこのときです。自分が作ったモノが動く経験は格別でした。高校では、合唱部のホームページの作成と運用を任されて、徐々に、掲示板を作ったりと工夫して拡張していくのが楽しくなりました。

もともと数学が得意で理科系志向で、特にインターネットや電子系などに興味がありました。ただ、本格的にプログラムを書き始めたのは、大学に入ってからです。高校から大学に進学するときに、理工学部と、SFC(湘南藤沢キャンパス)を見学して、環境情報学部に決めました。”やりたいと思っていたことがここならできる“ような気がしました。理系文系の枠はなく、プログラミングのような技術的なことからビジネスの立ち上げに必要なことまで多種多様な勉強をする機会を与えてくれたことで、大きな財産を作ることができました。

大学3年のころに、大学と企業の共同プロジェクトに学生として参加する機会がありました。楽天、電通、ヤフーといったネットに関連した会社で活躍する大学のOBの考え方や行動に強い刺激を受けました。この頃から、自分自身でモノ(webサービス)を作り始めました。将来、ハードもソフトも使いこなしたサービスのシステムを作る事業をする会社を起業するイメージがだんだんはっきりしてきたのです。

アイデアは誰でも出せると思います。それよりも作る方が難しい。運用するのはもっと難しい。そして、それをみんなに使ってもらうのがさらに一番難しいんです。そのプロセスを全部自分でやりたいと思っていました。それが一番楽しいと思っています。そのためには作る腕を身に着けたいと思っていました。ただ、作る部分だけやるなんてもったいないと思います。

社会人になってどんな経験を積まれたのでしょうか。

そのために修行する場はメーカーがいいだろうと考えました。最初の就職先では2年で1ステップ上がる覚悟を持っていました。やめるということです。実際の就職先はソニーです。内定をもらえた企業の中で一番給料が高かったが決め手だったような覚えがあります。

仕事は、放送業務用のシステムの設計や納品です。その中で、システム全体の要件にあわせてハードウェアを制御するソフトウェアを担当していました。ただ、実際にコードを書くのは協力会社のエンジニアで、自分は要件をまとめたり設計したりする担当でした。それはそれで貴重な体験です。ただ、一方で、直接自分でプログラムを書いてモノ(webサービス)を作る腕を磨き続けることも必要だと感じていました。大学時代以来、自分の時間を投資して続けてきたことは、就職しても続けていました。Twitterが出てきたときは、可能性に気が付いておそらく皆に比べてかなり早くからいろいろ試していました。早く動いた分、初期のいろいろな動きにも近くで関わることができましたね。

個人の時間を使って個人で活動する中で、いろいろな人に会いました。その中の一人がアジャイルメディア・ネットワークの現在の社長の徳力さんです。事業の内容を知り、一緒に仕事をしているうちに、第2ステップを踏む場としての可能性を感じて転職したわけです。

「システムは最初から自動化しません。人が持ってる発見能力や知恵を組み込むためです。」

エンジニアには人のネットワークを広げるのが好きでない人もいるようですが、福田さんは・・。

ただ目的もなく飲み会に行くのは本当に嫌いです。なんてことはない意味のない話題に合わせるのはうんざりです。でも、例えば、テーマが絞られたイベントの後の懇親会だったりすると、参加者の関心もレベルも絞られているので勉強になりますね。時々失敗もありますが。価値ある人と出会って、価値ある刺激や情報を得るために、そういうチャンスのある場所にどんどん参加しています。流されて人づきあいするのではなくて目的がはっきりしていれば積極的になれますよ。いろいろ経験することは大切です。

小学校高学年のときの担任だった四村先生は、山登りにつれていってくれたり校外でもいろいろな経験をさせてくれました。ある日、中学校の見学に連れていってもらい吹奏楽の校歌の演奏を聴いているときに、その指揮者を指して”こういう人になれ”を言われたのが印象に残っています。皆をリードする人になれということかな、とぼんやり感じましたがはっきりと意識したわけではありません。ただ“ああいう人になろう”ということだけがはっきり自分に残りました。中学に進むと、1年生で生徒会に入り、2年生では周りに推されて生徒会長に立候補し当選しました。いろいろな人といろいろなことを楽しく進めていくことがなぜか得意になっていました。高校、大学と、そういった能力によっていろいろな人から刺激と教えを受けられたのではないかと思います。

自分自身だけということではなく、“人”が持つ能力は素晴らしいと思います。ウェブのサービスの仕組みを作るときにも、僕は最初から全て自動化するような設計はしません。まずは手動で動かすようにして、サービス提供のプロセスの中で自分で発見したことや人にもらった意見に合わせて徐々に半自動の仕組みに進化させていきます。自動化するためのアイデアは頭の中からだけ湧き出してはきませんよね。この世界は、最初から正解が待ってくれているわけではないのです。いろいろな人のいろいろな経験や意見を組み込んでいくことはサービスを進化させるカギの一つだと思っています。

今の会社では入社以来、モノづくりは実質1人でやってきましたが、今は、仕事が増えていく中で、他のエンジニアと協力する体制に切り替えていくところです。僕にとっても新しいステップを踏むきっかけになる予感がしています。数年後は全く違う形で仕事をしているかもしれませんね。

CTOを務めるソーシャルメディアを活用したマーケティングの会社
アジャイルメディア・ネットワーク株式会社 http://agilemedia.jp/
徳力社長の個人ブログ http://blog.tokuriki.com/
会員登録(無料)をする
福田一行(ウェブエンジニア/起業家) | 年表(自分史)創造コミュニティ Histy(ヒスティ)