ロールモデルになるような、各業界の第一線で活躍している方々をインタビューと年表で紹介するこのコーナー。第13回のゲストは、世界銀行研究所で業務担当局長を務める西尾昭彦さんです。

小さいころは病弱で内気だったという西尾さんは、親の仕事の関係で小学校4年のときにアメリカのロサンゼルスに移ったことがきっかけで、体調もよくなり性格も外向的になったそうです。文章を書くのが好きだった西尾さんは、高校2年生のときにJICA(国際協力機構)の作文コンクールで入賞し、その賞品としてブラジルを旅行したことが国際的な仕事への興味につながったとのこと。一橋大学在学中にフランスへ留学してフランス語をマスターし、大学卒業後はOECF(海外経済協力基金)に入り、ビルマや韓国の開発の仕事を担当された後、ケンブリッジ大学に留学して開発経済学の修士号を取得。その後世界銀行に移って活躍されています。西尾さんのこれまでの歩みについては、ぜひ年表をご覧ください。

絶お金だけでは開発は実現できない

現在のお仕事は?

世界銀行グループの中で、途上国側の開発能力を育成する仕事をしています。世界銀行研究所、WBIと言っていますが、そこの業務担当局長をしていて、だいたい局全体で90名程度いて、いろいろな国籍の人が入っています。開発能力の育成についてちょっとお話しすると、世界銀行は本業としては途上国の開発プロジェクトのために融資を行なっていて、ダムや道路、港湾といったものをつくっていくのが本来の仕事なんですが、お金だけでは開発は実現できないんです。途上国側の人的能力ですとか、政策担当能力ですとか、いろいろな制度、体制づくりがないと開発は成就しない、そういう認識をもとにつくられたのがWBIです。

これまで担当した仕事で特に印象に残っているものは?

いくつもあるんですけれども、私が世銀に入って最初のころ長く手がけたのは、インドネシアの農村開発で、私が特に強い思い入れをもってやったのは、ランドタイトリングという土地を登記していくプロジェクトでした。インドネシアの人たちは先祖代々何百年同じところに住んでいても、土地の所有を証明するものがないので、デベロッパーがくると簡単に土地をとられちゃうんです。土地を担保にしてお金を借りることもできない、土地を売買することも簡単にできないという問題があって、私はそういう土地問題の調査から関わって、途中から土地を登記するプロジェクトをやることになり、まだ当時30ちょっとで若かったんですがチームリーダーになったんです。世銀ではタスクチームリーダー、TTLっていうんですが、予算と責任と両方渡されて、自分の裁量に任されたので、ニュージーランド人の測量専門家と、オランダ人の弁護士と3人でコアチームをつくって、あとは適宜いろいろな人をひっぱりこんだんですけど、その3人で4年間ぐらいにわたってインドネシアのあちこちを飛び回りました。ある問題について大臣のところへ直訴に行ったら、彼が烈火のごとく怒って、部屋から放りだされたこともあります。その1年後ぐらいに、インドネシアの担当を離れるときに、大臣のところへ挨拶をしに行ったら、彼がしばらく待っていてくれと言って、30分ぐらい出てこなかったんです。何をやってるのかなと思ったら、大きな船の模型を持って出てきて、これはお前が4年間にわたって我々を助けてくれたお礼だと言って、その模型をくれたんです。あれは忘れられないプロジェクトですね。

あとは、1998年の最後のミッションでスマトラ島にいるときに、インドネシア各地で反スハルトの暴動が起きて、ジャカルタに帰れなくなったんです。ジャカルタの友人から今帰ってくるなという勧告を受けて、ワシントンの上司からも、中国人狩りが始まって、お前は中国人に間違えられるかもしれないからうろうろするな、ホテルに隠れていろと言われたので、何日か隠れていたあとに、インドネシア人の同僚に連れられて、シンガポールに脱出したということもありました。

これまでに挫折や逆境を経験したことはありますか?

それはいろいろありますね。最初に世銀に入ったときには、こういう職場で自分は通用するんだろうかと深刻に悩みました。今自分のやっている仕事を難しいと思っているけれども、その先にはもっともっと難しいことがたくさん待っているわけで、そういったことを本当に自分ができるのだろうかと強く思いましたし、日本人は数が少ないですから、人一倍努力をしないといけないですし。

あるとき私の上司の上司だったドイツ人の女性に廊下でばったり会ったら、あなたは日本人なら人一倍努力しなさい、そのためには三つのことを心がけなさいと言われたんですね。一つ目は、人前でもっと話をするような訓練を受けなさい、これからもっと上にあがってくると、書くことよりも話すことのほうが重要になってくるからと。二つ目は、世銀の中でいろいろ設けられているタスクフォースというのがあって、問題が突発的に起きたときに、いろいろなところから人を連れてきて編成されるんですが、そういうところに出してあげるから顔を売りなさいと。三つ目は、プロジェクトを通して貸し付けをすることは誰でもやっているから、それだけではなくて、調査をしてペーパーを書くような仕事をもっとしなさいと。このアドバイスはたいへんありがたいことで、その三つをそのまま実行して、とても自分のためになりました。

優秀で魅力的な上司に仕えることができたのは大きな財産です

世界銀行に入ってよかったことは?

私にとって世銀に入ってよかったことはいろいろありますけれども、一つ言えるのは、上司に恵まれたということですね。他に類を見ない優秀で人間的にも魅力的な人たちの下でこの10年ぐらい働くことができています。

たとえば、私がIDAという低所得国向けの増資交渉をやっていたときに私の上司だったのは、ジェフリー・ラムという南アフリカ出身の白人ですけど、彼は人生の修羅場をいろいろくぐってきた人で、昔の南アフリカの反アパルトヘイト運動の旗手だったんです。白人でありながら黒人の味方をして、政治犯として投獄された後、結局南アから追放されたんですよ。肝っ玉が座っていて、ものすごくおっかない人です。だけどものすごく私を鍛えてくれました。私が課長兼局長代行をしていたときに彼が副総裁で、よく彼の助手のおばさんから、ジェフが会いたいって言ってるよって電話がかかってきました。私のオフィスから彼のオフィスまで長い廊下があるんですが、廊下を歩いて行くうちにゆううつになって、それでオフィスに入ると、彼が、お前が書いたこのメモはなんだ、こんなの馬のくそみたいなものだ、こんなものを出してくるなって怒るわけですよ。

だけど一方で人間的に魅力的な人です。2006年の10月ごろにものすごく難しい交渉があったんです。これは世銀と40近い国との交渉で、失敗することがわかっているけど、政治的な理由でやらざるをえないという交渉でした。始まる前からみんながゆううつで沈んだ顔をしていたら、彼が朝の準備のミーティングに出てきて、お前ら、こういうときには笑えって言うんですよ。笑うと運も回ってくるんだと。だからとにかくうじうじ悩まないで、満面に笑みを浮かべて出ていけと指示をされました。それで実際に狐につままれたような思いで出ていって、難しい交渉が始まりました。何が難しいかというと、40ぐらいの参加国の中で意見がばらばらだったことです。彼はばらばらな意見の中に共通項があることをいち早く察知し、それをつむいでいって、どんどんみんなを同じ方向に引っぱっていき、1日のミーティングが終わったときに合意が成立していたんです。あの経験は忘れられないですね。

今の私の上司でWBI担当副総裁のサンジェイ・プラダンは、16歳でハーバード大学に入ったという神童で、ものすごく頭がいいというのもありますが、人のことをよく考えるタイプです。彼自身すごく苦労をしているので、周りで何か悩みごとがあるようだと、いろいろと聞いてアドバイスをしてくれます。カリスマ性に富んでいて、たとえば何か会合があると最後に歌を歌ったりするので有名なんですけど、彼もまったく別な意味で魅力的な人です。そういう魅力的な人たちに何人も仕えることができたのは、私にとって非常に大きな財産です。

人生を振り返ってみて思うことは?

私はこの世界に入ってすごく恵まれていたな、よかったなと強く思いますし、先ほどの上司に恵まれたこと、あと開発という仕事で途上国の人たちと一緒に仕事をできたのはよかったです。あと世銀のカルチャーは、我々はカラーブラインド(色盲)と言っていますが、要するに人間の肌の色は基本的に関係ないということです。だから肌の色で友人であるとかないとか、仕事できるとかできないとか、そういう判断は下しません。今回東京へ来る飛行機の中で昔から知っているインド人が声をかけてきていろいろ話をしたり、今朝は同じくワシントンから来ているフランス人と長く話をしたり、そういう肌の色や文化、人種の違いをまったく感じさせないのが世銀のいいところですね。

東日本大震災があったあとも、日本に対してみんな強い関心や同情を持ってくれて、イザベル・ゲレロという南アジア担当副総裁がいるんですけど、彼女は日本人のスタッフが募金を呼びかけたときに一緒にビラをまいてくれましたし、韓国人の職員組合のメンバーからはすぐに私に電話がかかってきて、独自に募金を始めて徹底的に日本をサポートすると言ってくれたし、やっぱりそういう、いろいろな人間の相違点を乗り越えたような強い連帯感があるところが世銀の素晴らしいところですね。

またもう一つ、仕事上の試練はいろいろありましたが、それらを乗り越えるのには英語でいう「サポート・メカニズム」、つまり支えとなる家族や友達の存在が不可欠です。僕はその両方に恵まれていたと思います。

将来やりたいことは?

開発でまだやりたいことはいろいろありますし、今やっている仕事は、お金ではなく知識が重要なんだという非常に重要なメッセージをはらんでいるので、これはしばらくやっていきたいと思っているんですが、ゆくゆくは貸し付けもしているようなセクションに戻りたいと思っています。世銀の仕事が一段落したら、またモノを書く仕事というか、そういう作業に戻りたいなと思うことはけっこうあって、昔のつながりで出版社に知り合いがいるので、そういう人たちと話していると、書く仕事をしたいという気持ちを思い出しますね。

国際的な仕事をするには、専門性を身につけることが重要

最近若者が内向きだと言われていますが、どう思われますか?

いろいろな統計を見ていると、そういう傾向があるのは明らかですが、今年のJICAの作文コンクールに寄せられてきた作文を読む機会があって、読んでみるとこれはもうビックリするほど世界に目が開いているんです。たとえば、高校生なのに夏休みをつかってカンボジアへ行ってボランティアをしてきたという人もいましたし、中国から日本に移住してきて中国人として日本で感じたことを書いてきた人もいましたし、私がこの作文コンクールで受賞した36年前に比べると、なかなかなかったような得がたい経験を高校生のときからしている人がたくさんいることに元気づけられたというか、心強く思っています。

もう一つ作文を読んで思ったのは、東日本大震災のあとにいろいろな国から援助をしてもらって、その中にはアフリカの国もたくさんあるし、イラク、アフガニスタンといった戦争が終わってないような国も入っているんですね。そういういろいろな国から支援があったということが、日本の若者にも非常に大きく影響を及ぼしていて、日本は長い間そういう国に援助してきたけど、やっぱり感謝されていたんだ、これからはまた彼らのために協力しないといけない、そういう気持ちを持っている若者がたくさんいることがはっきりと見受けられました。だから、この前の大震災は大変な悲劇でしたけど、これをきっかけとして、ある意味でより世界を目指す若者が増えるのではないかという希望を持っています。

国際的な仕事をしたい若者にアドバイスするとしたら?

なんといっても専門性をつちかうということにつきると思うんですね。国の平和ですとか、国の発展ですとか、そういうことに役立つ専門性というのはいろいろあるわけで、たとえば法律もそうですし、経済学もそうですし、いろいろなエンジニアリングもそうですし、医療、教育など、そういう専門的な知識を身につけてがんばってほしいと思います。そういう専門性を身につけると、日本国内でも役に立つし、国際的にも通用していくようになり、それで世界にも貢献しやすくなります。そういう専門性を持たないままだと、せっかく海外で活躍しようと思ってもなかなかできないわけです。残念ながら私のところに国際的な仕事についてアドバイスを求めてこられるような若い人の中には、専門性を持ってない人がけっこう多いんです。そういう人たちには、大学院に入るなり、どこかの企業で働くなりして、専門性を身につけていただきたいですね。

今年の10月に日本で世界銀行の総会があるそうですが、抱負をお聞かせください。

日本で今年世銀の年次総会が開かれるということは、非常に意義深いことだと思うんです。以前1回だけ年次総会が東京で開かれたことがあって、これは1964年の東京オリンピックの年ですが、その当時の日本というのはまだまだ戦後の復興期で、ようやく戦後が終わったという宣言があったころです。それから48年たって、日本が異例のない経済大国になり、年次総会を開けるということは、日本がどれだけ力強く発展を遂げたかということを世界に知らしめる大きな契機となることが意義の一つです。

もう一つが、東日本大震災後に、非常に冷静に、しかもしっかりと復興に取り組んでいる日本国民に世界中から敬意が集まっていますが、日本がそういう自然の大災害から立ち直る姿を見せられる機会にもなることです。年次総会の前に、仙台でも防災についての国際会議をする予定で、そういった実際の被災地で立ち直っていく姿も見ていただく、そういう二つの意味で、今回は非常に意義深い総会になると思っています。私が所属しているWBIでも、日本の防災や復興の教訓を途上国に役立ててもらおうと、昨年の秋からそういった情報を集めて発信する仕事もしています。その中間報告も総会のときにさせていただくことになっています。
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西尾昭彦(世界銀行研究所業務担当局長) | 年表(自分史)創造コミュニティ Histy(ヒスティ)